気づけば、同じ一日
朝起きる時間も、出かける道も、一日の流れも、ほとんど変わらない。 頭より体が、一日の動きを完全に覚えてしまっている。
顔を洗い、コーヒーを淹れ、ニュースを流し見する。 曜日が変わっても、景色はあまり変わらない。

特別つらいわけじゃない。むしろ、安心感はある。 同じリズムで過ごせることは、生活を安定させるからだ。
それなのに、ときどきふと、思いがよぎる。 「この感じ、ずっと続くのかな」
不満というほど強い感情ではない。 ただ、湯気の向こうで、胸の奥が妙に静かになる瞬間がある。 その静けさに、少しだけ冷たさが混ざっているような気がするのだ。
慣れの外に、少しだけ
その日、特別な用事があったわけではない。 ただ、家にいるのが少し息苦しくなって、ふらりと外に出た。
近所の公園まで歩く。遠くまで行く気力はない。 でも、あのまま同じ部屋に戻るのも違う気がした。
外に出ると、季節の匂いがした。 肌に触れる風の冷たさが、意外と心地いい。 「ああ、ちゃんと外の世界は動いているんだな」 そんな当たり前のことを思う。
ベンチでほどける

公園のベンチに腰掛ける。 深く座るほどでもなく、浅くもなく、ちょうどいい場所に体を預けてみる。
目の前では、知らない誰かが歩き、遠くで子どもの声が聞こえる。 自分とは関係のない動きが、当たり前に続いている。
それを見ていると、さっきまでの“同じ一日”が、少しだけ違うものに見えてくる。 止まっているのは、景色ではなく、自分の気持ちの方だったのかもしれない。
安心と退屈
安心はありがたい。 慣れた道、慣れたやり方。 それに何度も救われてきた。
でも、安心の中にずっと浸かっていると、 「これでいいんだ」と自分に言い聞かせる回数が増えてくる。
たぶん「退屈」とは少し違う。 ただ、心が小さく呼吸をしている感じがするのだ。 「ここで終わるわけじゃないよな」 そんな小さな声が、どこかで鳴っている。
揺れる境目
安定しているのか、止まっているのか。 その境目は、いつも曖昧だ。
他人から見れば、問題なく穏やかに暮らしている。 自分でも、困っているわけではない。 それでも、ベンチに座ってぼんやりしていると、問いが浮かんでくる。
今の自分は、落ち着いたのか、止まったのか。 諦めたのか、守っているのか。
答えは出ない。 でも、この「答えが出ないこと」自体が、今の自分のリアルなのだと思う。
息ができる場所
「慣れ」は安心をくれるけれど、考える「余白」まで埋めてしまうことがある。
ベンチに座って、少しだけ呼吸が深くなった気がした。 何かを決めたわけでもない。明日から劇的に何かが変わる予定もない。 ただ、“慣れの外に出る時間”があるだけで、心は少し動く。
大きく変えなくていい。 同じ一日の中に、少しだけ「違う景色」を入れる。 それだけで、ガチガチに固まっていた安定と停滞の境目は、少しだけ柔らかくなる。
公園から帰る道は、来た道と同じだ。 でも、その同じ道が、さっきより少しだけ軽く感じた。



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