【50代の気づき③】心が弱くなったわけじゃない

50代の気づき

■ 「こんなこと」が気にかかる

ニュースの見出し、SNSで流れてくる誰かの意見、あるいは知人の何気ない一言。 昔なら、「ふーん」と聞き流して、次の瞬間には忘れていたようなこと。

それなのに、今はなぜか心に引っかかることがある。 まるで服の裏についた小さな棘のように、チクチクとした違和感がしばらく頭から離れない。

「こんな些細なことを気にするなんて」 そう思う自分に気が付いて、そんな自分の「脆さ」をまた気にしてしまう。

大げさに騒ぎ立てたいわけじゃない。 誰かを責めたいわけでもない。 ただ、胸の奥で何かが引っかかったまま、うまく流れずに淀んでいる。 そんな感覚を持て余す夜がある。

■ 感情の「ショーウィンドウ」

感情の輪郭が、昔よりも少し変わった気がする。

若い頃は、喜びも怒りも不安も、もっと直接的で、肌に張り付くような熱を持っていた。 けれど今は、自分の感情なのに、どこか**「ショーウィンドウの向こうに並んでいる」**ように見えることがある。

感情が鈍くなったわけではない。 ただ、少しだけ距離ができたのだ。 「ああ、私は今、不安を感じているな」 「この言葉に傷ついているな」 と、一歩引いた場所から、ガラス越しに自分の心を眺めているような不思議な感覚。

■ 摩耗ではなく「正直」になった

50代になるまで、人はそれなりに我慢も折り合いも重ねてきている。 社会の中でうまくやるために、感情を押し殺す術も身につけた。

その分、心の奥に静かに降り積もったものがある。 「あの時は平気なふりをしていたけれど、実は無理をしていたんだな」 そんなふうに、後から気づくこともある。

今の「引っかかり」は、心がすり減って弱くなったからではない。 むしろ、**「自分の本当の感情に気づけるようになった」**という変化なのかもしれない。

若い頃は、強い感情に名前をつける暇もなく、勢いだけで走り抜けていた。 今はそれができない。 いや、無意識のうちに「しない」ことを選んでいるのかもしれない。

■ 雑に扱わなくなった証拠

昔は、立ち止まって感じている余裕がなかっただけだ。 心に何かが引っかかっても、次の仕事や予定に押し流されて、強制的に忘れていただけ。

今は、感じる前に誤魔化さなくなった。 自分の感覚を、なかったことにしなくなった。

些細なことが気になるのは、心が弱くなったからではない。 むしろ、自分の心を雑に扱わなくなった証拠なのだと思う。 「それは嫌だ」「それは悲しい」という小さな声を、ちゃんと拾えるようになったのだ。

■ 答えは急がなくていい

だから、引っかかる感情を無理に消そうとしなくていい。 「気にしちゃダメだ」と自分を責める必要もない。

ただ、放っておくのでもなく、抱え込むのでもなく。 目の前の生活を淡々と続けながら、その感情を**「一度、棚に置く」**イメージでいい。

ショーウィンドウに並べて、少し離れた場所から眺めてみる。 「今日はまだ、そこに置いておこう」 そうやって時間を置くと、あの不快だった引っかかりの正体が、ただの「不満」ではなく、自分を守るための大切な「気づき」だったと分かる日が来る。

答えは急がなくていい。 引っかかったままでも、今日が壊れるわけではないから。 心が弱くなったのではなく、優しくなったのだと信じて、今夜はゆっくり休もう。

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