言葉で説明するのをやめた。iPhoneを「会話のクッション」にする方法

生活編

■ 「説明しなきゃ」という重圧

同僚に何かを伝えなければいけない場面。 内容は、来週の会議の日程や、訪問先の場所の段取り。 決して難しい話ではありません。

でも、それを自分の口で説明しようとすると、なぜか急に気が重くなります。 「順序立てて話さなければ」 「誤解のないように言わなければ」 「質問されたら、どう答えようか」

以前の私は、「ちゃんと説明しなきゃ」と意気込むほど話が長くなり、途中で自分でも何を言いたいのか分からなくなることがありました。 説明する前から、頭の中で言葉を組み立てる作業だけで、すでに脳のバッテリーが減っている。そんな感覚がいつもありました。

■ 言葉にするのを、やめてみた

そのとき、ふと「うまく説明しようとするのは、もうやめよう」と思いました。 言葉を尽くして理解を求める代わりに、ジャケットのポケットから iPhone を取り出しました。

ロックを解除し、カレンダーアプリを開く。あるいは、マップアプリで目的地を表示する。 頭の中にある情報を、下手な言葉に翻訳するのをやめて、「これ」と、そのまま高精細なRetinaディスプレイを相手に向けました。

投げやりだったわけではありません。 ただ、言葉にするエネルギーを、少し節約したかったのです。

■ 画面が「緩衝材」になる

説明らしい説明は、ほとんどしていません。 「ここに行くんだけど」 それだけです。

相手は無言でiPhoneの画面をのぞき込みます。 数秒間、クリアな画面に表示された文字と地図を目で追い、「ああ、なるほど。わかった」と小さくうなずきました。

いつものような、「で、どういうこと?」「何時だっけ?」というラリーもありません。 僕と相手の間には、光るiPhoneの画面がひとつあるだけ。 お互いの顔色を伺うのではなく、同じ画面を、一緒に見ている。 その「視線のズレ」が、対面会話特有のプレッシャーを驚くほど軽くしてくれました。

■ 沈黙は、冷たさではなかった

驚いたのは、話があっけなく、そして穏やかに終わったことでした。 言い直すこともない。補足もしない。 言葉が少ない分、感情が波立つきっかけも生まれません。

いつもなら、言葉尻を拾ったり、ニュアンスの違いで少し空気が荒れたりすることもあります。 でも、事実だけが映ったデジタルな画面の前では、会話は静かなまま着地しました。 その少し乾いた、実務的なやり取りが、今の私にはむしろ心地よく感じられました。

■ 「分かってもらおう」を、手放す

「うまくプレゼンできた」という達成感はありません。 でも、疲れていませんでした。それが一番の違いです。

完璧に分かってもらおうと必死になることを、少しだけ諦めてみる。 言葉で埋めようとしていた隙間を、iPhoneという道具に埋めてもらう。 その小さな勇気が、自分を少し楽にしてくれました。

■ iPhoneは、説明を「引き取る」道具

これは、iPhoneが多機能だとか、アプリが便利だという話ではありません。 ただ、「説明」という重たい役目を、このデバイスが引き取ってくれた。そんな感覚です。

言葉を選ばなくていい。順序を組み立てなくていい。 無機質なガラスの板が、僕の代わりに「事実」だけを提示してくれる。

■ 「伝えすぎない」という選択

最近は、分かってもらうために言葉を足すよりも、「説明そのものを減らせないか」を先に考えるようになりました。

iPhoneは、情報を伝えるための道具というより、「伝えすぎない」ための防波堤。 人間関係における言葉の量を調整する、ひとつのフィルターのような存在です。

うまく伝えるための道具ではなく、伝えすぎて消耗しないための「控え」。 そんな距離感でiPhoneを使うのが、今の自分にはちょうどいいのかもしれません。

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