朝は、何も始まっていないはずなのに
朝の時間は静かだ。 誰かに急かされるわけでもなく、ただ一日が始まろうとしているだけ。
窓の外はまだ薄暗い。部屋の中も、しんと静まり返っている。 それなのに、外の景色をなんとなく眺めて、なぜか動けずにいる自分がいる。
何かあったわけではない。嫌なことがあったわけでもない。 今日が特別な日でもない。
それでも、一歩目が出せない朝がある。 “止まっている”というより、どこに向かえばいいか分からない。 そんな感じに近い。

理由のない違和感
体調が悪いわけでもない。やるべきことが分からないわけでもない。 むしろ、やることは分かっている。
いつもの家事。いつもの用事。いつもの段取り。
だからこそ、動けない自分に違和感を感じる。 胸の奥に、小さな引っかかりがある。言葉にしようとすると逃げていくのに、消えてはくれない。
「このままでいいのだろうか」
それは不安というほど強いものではない。でも、安心でもない。 どちらにも分類できない感覚が、朝の静けさの中で目立ってしまう。
ふと考えることに、意味を探してしまう
以前なら、気にせず動いていたと思う。 忙しさに紛れて、考える前に一日が始まっていた。 朝は“起きる”だけで精一杯で、違和感に気づく余裕なんてなかった。
でも今は違う。 朝の時間に、ほんの少し余白がある。
余白があると、心が勝手に問いを持ち出してくる。 「この生活はいつまで続くのだろうか」 「続けたいのか、続いてしまうのか」 「何かを変えたいのか、守りたいのか」
答えを出したいわけではないのに、問いだけが浮かぶ。 考えることに意味を探してしまうのは、その問いが無視できないからなのだと思う。
朝の静けさは、逃げ場が少ない
昼なら、やることがある。夜なら、疲れて眠れる。 でも朝は、まだ何も始まっていない分、誤魔化しが効きにくい。
静けさは本来落ち着くはずのものなのに、その静けさが、自分の内側の音を拾ってしまうことがある。
たぶんこれは、問題が起きたからではない。 問題を“見ないで済ませる力”が、少し弱くなっただけなのかもしれない。
答えを求めない時間
朝の静けさに、ようやく身を任せられる時がきたのかもしれない。
朝は、結論を出す時間じゃない。何かを決める時間でもない。 ただ、違和感に気づくだけでいい。
「今、こう感じている」 それを認めるだけでいい。
それだけで、昨日までとは少し違う朝になる。
違和感は、すぐに答えを出せと言っているわけではない。 “気づいた”という事実だけを残して、今日を始めればいい。



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