何かが起きたわけではないのに
休日の夕方。 日が沈みそうな時間帯に、川辺をひとり歩いていた。
用事があるわけでもない。 何かを片付けたいわけでもない。 ただ、家にいると落ち着かない気がして外に出た。
大きな不満があるわけでもないし、生活に困っているわけでもない。 それでも、歩いているうちにふと立ち止まる瞬間がある。
「このままでいいのだろうか」
言葉にならない不安。 ただ、そう思ってしまう。 夕方の空気は静かで、その静けさが、普段は隠している問いを浮かび上がらせる。
不満ではなく、違和感に近い
「変えたい」と強く思っているわけではない。 かといって、「このままでいい」と胸を張って言い切れるほどでもない。
ただ、どこか噛み合っていない感じがある。
川の流れは一定で、水面はゆっくり光を反射している。 景色はきれいで、平和で、何の問題もない。 なのに自分の中だけ、ほんの少しだけ引っかかる。

歯車がズレてるほど大げさではないが、完全には、かみ合っていないような感覚。 それは不満というより、「違和感」に近い。
はっきり言葉にできないからこそ、これまでは気づかないふりをしてやり過ごしてきた。
動かないことを選んできた理由
50代になると、動かないことにもそれなりの理由ができる。
今の生活を壊したくない。 これ以上、面倒を増やしたくない。 無理をしてまで変える必要があるのか。
それらは全部、もっともな判断だ。 川辺を歩きながら、その“もっともさ”を一つずつ思い浮かべる。
自分は怠けているわけではない。 ただ、守っている。整えている。 波風を立てないようにしている。
それでも、心のどこかで小さくささやく声がする。 「本当に、今のままでいいのか」と。
立ち止まることは、悪いことじゃない
立ち止まると、後退しているような気がしてしまう。 何も進んでいない。何も決めていない。何も変えていない。
でも、川の流れを見ていると、ふと思う。 「止まっているように見えても、流れはある」 そんな当たり前のことを。
走り続けていた若い頃には、考える余裕すらなかった。 自分がどこに向かっているのか。 そもそも、向かいたい場所はあるのか。
それを考え始めた時点で、実はもう、以前とは少し違っている。
夕方の光が少しずつ薄くなって、空の色が変わっていく。 変化は派手じゃない。でも確かに、時間は進んでいる。
静かな準備の時間
立ち止まるのは、迷っているからではない。 これからのことを、ちゃんと自分の頭で考えたいからかもしれない。
すぐに答えを出さなくていい。 結論が出なくてもいい。 夕方の川辺は、何かを決める場所ではなく、ただ考える場所でいい。
立ち止まり、考え続けているという事実そのものが、今の自分には必要なプロセスなのかもしれない。
50代の迷いは、若い頃の迷いとは違う。 それは、どこへ行くかを決める前の、静かな準備の時間なのだと思う。
日が沈む。今日が終わっていく。 それでも川は流れている。 自分もきっと、止まっているようで、少しずつ流れている。



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