慎重さと臆病の間
その日は、カフェテラスに座っていた。 店の中ほど落ち着くわけでもなく、家ほど気を抜けるわけでもない。 でも、外の空気が入ってくるだけで、頭の中の熱が少し冷める気がした。
いつからだろう、こんなに慎重になったのは。
昔はもう少し、勢いで動いていたと思う。 うまくいくかどうかより、「とりあえずやってみる」が先にあった。 それが今は、一歩目を出す前に考える時間の方がずっと長い。
慎重になったというより、立ち止まることが増えた。
挑戦しない=逃げ、なのか
「挑戦しなくなった自分」を思うと、どこか後ろめたさがある。 年齢のせいにしている気もするし、楽な方を選んでいるようにも感じる。
周りを見れば、新しいことを始めている人もいる。 挑戦をやめない人もいる。 そのたびに、自分の足が止まっていることが目立つ。
でも本当に、それだけだろうか。 ただ逃げているだけ、なのだろうか。
テラス席で少しぬるくなったコーヒーを口に含みながら、そんなことを考えていた。

失敗の輪郭
若い頃の失敗は、やり直しの一部だった。 転んでも勢いで笑えたし、「次がある」と無邪気に思えた。
でも今は違う。 失敗の先にある現実が、妙に具体的に見えてしまう。
時間、体力、人間関係、立場。 失うものの輪郭が、痛いほどはっきりしている。
だから慎重になる。 それは弱さというより、経験が増えた結果なのだと思う。
テラスに吹く風は軽いのに、頭の中の思考は、なぜか重い。
自己防衛は、悪いことじゃない
挑戦しなくなった理由の奥には、自分を守ろうとする切実な気持ちがある。 無理をして壊れないように。これ以上、疲れ切らないように。
それを一言で「臆病」と切り捨ててしまうのは、少し乱暴な気がする。 守ることもまた、生き延びるための立派な判断だ。
外の空気を吸っているだけで、少しだけそう思えた。
守りたいのは、今の生活かもしれない。 残りの体力かもしれない。 あるいは、心の余裕かもしれない。
守るものがあるから、慎重になる。 その順番の方が、今の自分にはしっくりくる。
怖さの奥にあるもの
ただ、そこで終わりでもない。 「怖いから動かない」、それだけでは少し足りない気がする。
テラス席で人の流れを眺めていると、不思議と焦りが薄れていく。
もしかしたら、「本当はどうしたいのか」を考え始めているだけなのかもしれない。 挑戦しないのではなく、今はまだ “選び直している途中” なのかもしれない。
すぐに答えは出ない。 でも、外の空気の中で、自分の「止まっている時間」を肯定できたことは、無駄ではない気がした。



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