日常は、容赦なく続いていく
昼になると、朝の違和感は薄れていく。
用事をこなし、目の前のことに集中しているうちに、「考える余裕」は消えていく。
それでいい。それが普通だ。 昼は、生活を回す時間だ。 考え込んで立ち止まるより、手を動かして、口を動かして、今日を問題なく終わらせる。
そう思っていた。
消したつもりの違和感
朝に浮かんだ感覚は、昼になるといったん薄くなる。 「気のせいだったのかもしれない」 そう思えるくらいには、目の前のことが始まってしまう。
でも、完全には消えない。 忙しさに紛れさせても、何かの拍子に、また顔を出す。
たとえば、用事がひと段落して、ふとスマホを置いた瞬間。
追い払ったはずなのに、まだそこにいる。 しつこいというより、静かに待っている感じに近い。

日常を続けながら、別のことを考えている
昼の自分は、きちんと役割を果たしている。 問題なく、滞りなく。 誰かに迷惑をかけるでもなく、必要なことは、ちゃんとやっている。
それでも心のどこかで、別の問いを抱えたままだ。
「この生活は、この先も続くのだろうか」 「続けたいのか、ただ続いてしまうのか」
答えを出す気はないのに、問いが消えない。 仕事をしている間は忘れている。誰かと話している間も忘れている。 でも、「何もしていない時間」だけは、うまく誤魔化せない。
違和感は、生活の邪魔をしない顔をしている
昼の違和感は、派手に主張してこない。 痛みのように叫ぶわけでもなく、怒りのように爆発するわけでもない。
ただ、日常の隅に座っている。 「ここにいるよ」 それだけを伝えてくる。
だからこそ、無視できてしまう。 無視できるのに、無視し続けると、なんとなく疲れる。 この感じが不思議だ。
抱えてゆくもの
昼の違和感は、抱えてゆくものだ。
昼は答えを出さなくていい。 抱えたまま、日常を続けるだけでいい。
気づきは、急かすものじゃない。 むしろ、日常を回している自分がいるから、違和感もちゃんと“ここに置ける”。
朝に気づいて、昼に抱えて、夜にまた別の形で浮かぶ。 その流れの途中にいるだけだと思えば、少しだけ安心できる。
昼の自分は、ちゃんと進んでいる。 違和感を消せなくても、抱えたまま進める。 それが、今の自分のやり方なのかもしれない。



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